今週話しておきたいゲームなどのこと(2020年9月5日号)~学校に居場所を見いだせないのは悪いことじゃない~

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一週間で気になったゲームニュースと、それ以外で日々私が感じていることを書き連ねていく連載コーナーです。(今週からタイトルを微修正しました。)

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SEGAのソシャゲはよく分からない

今週はSEGAから、サクラ大戦のソシャゲ「サクラ革命」のリリースが発表されました。

内容自体には触れませんが、引っかかったのはその発表手法について。

SEGAは何日か前から、「B.L.A.C.K」という新プロジェクトを立ち上げたと告知していました。

「期待の新作を発表するよ~」からの「ソシャゲでした~」は、一時期は積極的に用いられていたものの、最近あまり取られなくなっていた手法です。

正確な理由は不明ですが、ゲーマーの間でソシャゲに対する期待値が落ち、その発表手法に対する反感が大きくなっていた状況は、間違いなくあることでしょう。

昨今の国産ソシャゲがヒットしづらくなっている現状は、みなさんもご存知のとおり。もちろんプレイする人はプレイするのだけれど、「軽くプレイする」という人がだいぶ減ってきている印象があります。

SEGAといえば、子会社の運営する人気ソシャゲ「ディズニー ツイステッドワンダーランド」で課金トラブルが勃発しています。

人気ゲーム「ツイステ」で多重請求?アイテム購入で不具合報告相次ぐ 署名運動も…公式の対応は?(J-cast)

今のところは「問題ない」という姿勢を貫いているようですが、ユーザーの告発を見る限り、問題ないと言い切るには根拠が足りない印象もあります。

SEGAは好きな会社の一つで、「サカつく」「やきゅつく」「龍が如く」「ぷよぷよ」など、これまでにさまざまな作品を楽しませていただきました。

ただソシャゲに関しては、「良くも悪くもやりすぎる会社」のイメージからは程遠い状況であり、なんでこうなっているのかなと疑問ばかりが浮かびます。

【今週のコラム】集団に適応できなくても大丈夫

学校は絶対的な存在ではない

今年は新型コロナウイルスに伴う休校が長引いたこともあり、その埋め合わせとして多くの学校で夏休みが短縮されました。

中には9日間なんて学校もあったとか。それはもはや、夏休みというよりお盆休みですね。

さて、例年であれば多くの学校で夏休みが開ける9月1日は、なんとも悲劇的な出来事が全国各地で発生してしまう日でもあります。

子どもたちの苦しみに目が向けられるようになってきた昨今では、大人たちから「苦しいのなら無理に登校しなくたっていい」というメッセージが発せられます。

それはまったくそのとおりで、学校は命をかけてまで登校するべきものではありません。

ただし彼らは、行かなくて済む決断ができるのなら、とっくにそうしているはずだと思うのです。

それを妨げるさまざまな要因を理解してあげないと、ほんとうの意味で子どもを救うことにはなりません。

教師はなぜ気持ちを理解してくれないのか

私も学生時代いじめを経験し、クラスの中に居場所を持ちづらい時期がありました。

担任はなんとか解決しようと動くものの、「休み時間に一緒に遊ぶ」「学級会で話し合う」など、私にすれば的外れなことばかりやられて、かえって苦しくなった思い出があります。

ただそんな中でも、学校を休むという行動に踏み切ったことはありませんでした。当時は不登校という選択肢がそれほど一般的ではなかったこともありますが、小規模の学校だったこともあり、その決断がどんな影響を与えるか、無意識のうちに判断していたのかもしれません。

そんな苦痛を乗り越えられたのは本との出会いでした。図書室で一人の時間をつくり、そこで歴史に興味を持ち、学力が評価される高校時代はそれなりに尊敬の眼差しで見られ、とてもうれしかったことを覚えています。

この経験が私を教職の世界へと導いたわけなのですが、そこで学校に居場所を持ちづらい生徒に適切な対応ができない理由を理解しました。

学校で苦しい経験をした人が教師になるのはレアケースなのです。学生時代に学校でいい思いをした人が、そのまま教師を目指すというのが一般的なんですよね。

彼らは頭ではいろんな生徒がいることを理解し、もちろん努力をしています。でも根底には「学校は楽しい場所」という意識が残っていますから、苦しみを感じている生徒を十分に理解していない言動を多く目にしました。

本来なら私のような経験をした人間が居場所づくりに協力しないといけないと思いつつ、結局自分自身が再び学校で居場所をなくすことになるとは、とことん私に合わない空間だったということなのでしょう。

ひとりでいられるのは誇らしいこと

大なり小なりなんらかの集団に属してしまうと、それが自分にとって唯一の世界であるかのように思い込んでしまいがち。

つながりだとか絆だとか言われるけれど、私たちはもっと、一人の時間を尊重するようになったほうがいいと思います。それが結果として、新しい居場所を見出すことにつながるような気がします。

在宅勤務やオンライン学習の普及でそれがいくらかでも達成されるのであれば、新型コロナウイルスがもたらす数少ない福音になることでしょう。

最後に1つ面白い話を。

卒業して狭い社会を抜け出し、しばらく時間が経った頃のこと。

当時私に嫌な思いをさせてきた同級生が、なんらかの勧誘で近づいてきたんです。

もちろんきっぱり断ったわけなのですが、違う世界の人間になるとここまで関係性が変わってしまうものかと、ほんのちょっとだけスカッとした気持ちになりました。