大して考える気もないのに「考えさせられる」とコメントしてしまう理由を考えた結果
「考えさせられる」
SNSのつぶやきでも、ネット記事でもよく見かける表現ですが、引っ掛かりを覚えるのは私だけではないでしょう。
「いやいや、なにを考えているんだよ」
と言いたくなったことは、一度や二度ではありません。
人はなぜ考えさせられてしまうのか、一度考えてみることにしました。
考えさせられるの辞書的な意味
まずは「考える」という言葉の意味について。「デジタル大辞泉」によるといくつかの使い方がありますが、
1 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。
㋐判断する。結論を導き出す。「こうするのが正しいと―・える」「解決の方法を―・える」「よく―・えてから返事をする」
㋑予測する。予想する。想像する。「―・えたとおりに事が運ぶ」「―・えられないことが起こる」
㋒意図する。決意する。「留学しようと―・える」「結婚を―・える」
この使い方が今回検討したい内容にあてはまりそうです。後述するように、「考えさせられる」ではなんらかの結論を得る目的で使われているわけではないため、「イ」の使い方に近いのでしょうか。
続いて「させられる」という言葉の意味について、同じく「デジタル大辞泉」で調べてみると、
2 他からの刺激で、ある状態・作用を起こす意を表す。「この映画を見て、将来のことを考え―◦られた」
そのままずばりの用例がでてきました。辞書に載るくらいですから、日本語的に間違っている表現ではないことが分かります。
これらを総合すると、一般的に使われる「考えさせられる」の意味は、「自分以外の何者かの発言、文章、作品などを見聞きして刺激を受け、いろいろ想像すること。」となりそうです。
みんな一緒の安心感を得るため?
「考えさせられる」の意味は分かりましたが、それで謎が解決するわけではありません。なぜ人は、自分の感想ではなくて「なにか感じた」ということを伝えてしまうのでしょうか。
ここに関係していると思われるのが人間の行動原理。話題の事柄にはとりあえず触れておきたいという人が一定数いるんですよね。同じ輪の中に入っている安心感みたいなものでしょう。
そこまで興味ないけど流行りの映画を見に行く。あまり好きじゃないけど流行りのドリンクに行列を作る。そんな感じです。
SNSなどで社会的事象についてなにか注目される投稿があったとき、「(実際にどうかはおいといて)自分は関心がありますよ」という意思を示す便利な言葉として、「考えさせられる」が使われている気がします。
関心を示すのなら自分の感想を言えばいいようなものなのですが、
- 感想を言えるほど深い知識があるわけではない。
- 的はずれなことを言って叩かれるのが嫌だ。
- 正直なところ関心はないから特に感想はない。
などの理由が、「考えさせられる」の裏には隠されているような気がします。頭使っている風に見えますしね。
「自分の意見を表明することは怖いけれど、とりあえずみんなの輪には入っておきたい」という、自己防衛の意識から発せられる言葉なのかもしれません。
考えさせられるのは悪いことではない
「考えさせられる」で止まってしまうことは感心しませんが、世の中においてよく考えて自分の意見を整理することはとても大切です。
SNSの誹謗中傷しかり、デマの拡散しかり、脊髄反射的にコメントして得することはまずありませんし、他者を傷つけてしまう可能性も高くなります。
「考えさせられる」から一歩進んで「考え続ける」ことで、物事をより深く理解できるような気がします。
とはいえ、自分の書いた文章に「考えさせられる」というコメントが付いたら、少なくとも悪い気はしないですけどね。